はてブの「カメラ」タグで次の日記を読み始めたら、興味深くて止まらずリンク先を一通り読んでしまった。つかカメラとかゼンゼン関係無いな…。
- 見えない道場本舗 – 東浩紀氏「二次創作文化は限界。『子どもの運動会が一番楽しい』という世界だ」
正直、自分はオタク世界を語れる程には詳しくない。昔えちぃ二次元ゲームをやっていたので少し分かるぐらい。ま、いずれにせよニコニコ動画やライトノベルといった単語が聞こえてくる頃にはいわゆる「二次元」の世界から離れていたので、ここで語られている世界は少し遠い場所に感じてはいる。今もニコニコ動画とかライトノベルとか見ないしね。なお、作品固有のシナリオよりも世界観こそが魅力と感じる作品には触れたことがある。TYPE-MOONの「Fate」という作品。この作品を知っているから、何となく「二次創作されることを意図した作品」といったニュアンスは分かる気がする(あの作品にそういう意図があったかどうかは知らないが)。あれは、それ自体が一つの作品であると同時に統一された世界観を提供する器のような印象があった。うまく言えないけれど、一つのストーリーを描くだけにしては描かれる世界が広大で、語られない背景(しかも気になるような)が残されていたり、物語の中では互いに関係しないけれど「関係したらどんな展開になるのか」と期待してしまうような濃いキャラクターがたくさん出ていた。こういう「スキマ」がたくさんあって、想像力(妄想力)を誘発する。これも、ニコニコ動画のような「インフラ」が普及した頃に出ていれば「適合」して大いに盛り上がったかもしれないな…作者が望むかどうかはさておき。
話を戻すと。東さんの「運動会とカメラ」という比喩はおもしろいと思う。デジカメどころかスマートフォンの登場によって写真という界隈における創作者は文字通り無数に存在している。ニコニコ動画などのインフラ上で無数の創作者がうごめいているのと似ているかもしれない。もちろん、写真の上手下手には猛烈な差があるので創作者の氾濫がプロを脅かすようなことは無いと思うし、写真には原作・二次創作といった概念がほぼ無いので、同じような懸念は無いと思うけれども。
しかし、原作・原作者がインフラによって生み出される無数の派生品に飲み込まれて存在が消えていく、か。そんな世界はちょっと見たくはないな、確かに。ところで、原作者の創作意欲が報われない、という見方をした場合、よくある特許の話にも似ている?ま、そっちはどうでもいいか…。