(本日の投稿は、技術ネタではなくまじめな読書感想文です)
兄の(間接的な)薦めで知った猪瀬直樹著「昭和16年夏の敗戦」を読み終えた。事実は複雑怪奇で一言に表現するにあたわず。確固たる自らの見解としてではなかったにせよ本書を読む前の自分ならば、聞かれれば「太平洋戦争の開戦および敗戦の原因は軍部の暴走にある」などと一言で済ませていたであろうことは間違い無く、「日本」に対する自分の無知・無関心に恥じ入るばかりである。
自分の無知および無関心について言い訳するのは簡単である。「知る機会が無かった」と言うこともできるし、高校時代に教員から自虐的歴史観という偏見を教わったことなども原因として挙げることはできる。しかし、自らの属する組織のことを知らずして組織員でいられるはずもない。すなわち自国の歴史に関して言うならば、すべての国民が「当事者」であり、知っておくべきものであろう。ただし、ここでの歴史とは戦争責任云々の話ではなく、近代日本史における最大の「失敗」(表現に語弊あり)を成功の母という意味で指している。そこから何も学ばずして未来へ歩みを進めるのは、組織として愚かと言わざるを得ない。そこに齢28でやっと気付いたのであるから、恥である。
終戦間近の日本では、官僚主義が壊れず、誰も意思決定を下せなかった。そのため物事が成り行きに任せる形でズルズルと進んでしまった。少なくともそれが、国家の総力を引き出すにあたって大きな障害になっていたことは確からしい。日本はそのまま敗戦という、行くところまで行ってしまった。それでは同じような運営をしている私の所属組織は、どこまで行ってしまうのだろうか。もしかすれば、そのまま行くところまで行ってしまうのかもしれない。「下っ端でしかない私には仕方のないことだ」と言って傍観を決め込むのでは、組織員としての責任放棄になると思う。そして何より、傍観は何も生み出さない。幸い戦時中の日本とは異なり、私が現在所属する組織では多少の分不相応な言動を取っても煙たがられる程度であって処刑されるようなことは無い。今まで以上に、やれることはやっていこうと思う。