碧落にて気まぐれに一言

2011/10/16

「ペンをカスタマイズする人はいない。ペンの使い方をカスタマイズするのだ」

Filed under: 未分類 — タグ: , — Suguru Yamamoto @ 21:27

電子書類の整理をしていたところ古い読書メモが出てきました。何かの縁ということで、掲載。

2009-05-17 16:29
A.D.ノーマン著「エモーショナルデザイン」より:

ペンをカスタマイズする人はいない。ペンの使い方をカスタマイズするのだ

非常に稀にならペンをカスタマイズする方もいらっしゃるかもしれませんが、そのような人は特殊中の特殊であり、デザインする上ではあまり対象として考えるべきではないでしょう。ほとんどの人はペン自体をカスタマイズしませんし、する必要が無いと思います。

カスタムできること自体は良いことですが、百万人のユーザ全員のニーズを満たしきるようにカスタマイズオプションを用意することはできません。結局の所、あるユーザのニーズを完璧に満たすことができるとしたら、そのユーザ自身の手によってデザインしてもらう以外にありえないでしょう。したがって、ユーザニーズをより良く満たしたいという動機で何らかのオプションを製品に加えるのであれば、その製品だけで完結するようなオプションよりも、他の製品と組み合わせやすいようにする方が良いと思います。たとえば各種の標準規格を採用したり、単純または汎用的なインタフェースを備える、といったアプローチです。

デザインという考え方は色々なものに適用できますが、特にこの考え方は汎用的ですね。ソフトウェアでも、電子機器でも、携帯電話でも、何でも。

2011/08/15

昭和16年夏の敗戦を読んで

Filed under: 未分類 — タグ: , , — Suguru Yamamoto @ 00:51

(本日の投稿は、技術ネタではなくまじめな読書感想文です)

兄の(間接的な)薦めで知った猪瀬直樹著「昭和16年夏の敗戦」を読み終えた。事実は複雑怪奇で一言に表現するにあたわず。確固たる自らの見解としてではなかったにせよ本書を読む前の自分ならば、聞かれれば「太平洋戦争の開戦および敗戦の原因は軍部の暴走にある」などと一言で済ませていたであろうことは間違い無く、「日本」に対する自分の無知・無関心に恥じ入るばかりである。

自分の無知および無関心について言い訳するのは簡単である。「知る機会が無かった」と言うこともできるし、高校時代に教員から自虐的歴史観という偏見を教わったことなども原因として挙げることはできる。しかし、自らの属する組織のことを知らずして組織員でいられるはずもない。すなわち自国の歴史に関して言うならば、すべての国民が「当事者」であり、知っておくべきものであろう。ただし、ここでの歴史とは戦争責任云々の話ではなく、近代日本史における最大の「失敗」(表現に語弊あり)を成功の母という意味で指している。そこから何も学ばずして未来へ歩みを進めるのは、組織として愚かと言わざるを得ない。そこに齢28でやっと気付いたのであるから、恥である。

終戦間近の日本では、官僚主義が壊れず、誰も意思決定を下せなかった。そのため物事が成り行きに任せる形でズルズルと進んでしまった。少なくともそれが、国家の総力を引き出すにあたって大きな障害になっていたことは確からしい。日本はそのまま敗戦という、行くところまで行ってしまった。それでは同じような運営をしている私の所属組織は、どこまで行ってしまうのだろうか。もしかすれば、そのまま行くところまで行ってしまうのかもしれない。「下っ端でしかない私には仕方のないことだ」と言って傍観を決め込むのでは、組織員としての責任放棄になると思う。そして何より、傍観は何も生み出さない。幸い戦時中の日本とは異なり、私が現在所属する組織では多少の分不相応な言動を取っても煙たがられる程度であって処刑されるようなことは無い。今まで以上に、やれることはやっていこうと思う。

2010/08/22

「未来のモノのデザイン」を読みました

Filed under: 未分類 — タグ: , , — Suguru Yamamoto @ 16:24

D.A.ノーマン先生の「未来のモノのデザイン」を読み終えました。実は発売直後に購入していたので読み始めはずいぶん前なのですが、読書時間をうまく取ることができておらず、今頃読み終わりました。これからは読書を含む勉強のために時間を毎日 1 時間程度は取っていこうと思っています。

さて、ソフト屋として読み進めた中で一番印象に残ったのは自動化と能力拡大の話です。能力拡大を私の言葉で表現すると、「人+機械=人以上」を達成することかなと考えています。機械をあくまで道具として設計し、それを使う人間は「ただの人間よりも能力が増強(拡大)された人間」になる。そんな設計方針です。

総論を書こうとしても上手く書き出せず、読み返せば読み返すほど理解が甘いのかなと思ってしまう状況で書くのも何ですが、たとえば現在のワープロにある「間違いと思われる箇所を検出したときに自動的に下線を引く」機能は、人間の「間違いに気付く」能力を拡大するものだろうと考えています。うーん、根本の根本にあるものを理解できてはいないような気がするのですが、表に出てくる設計結果=ユーザインタフェース・ユーザインタラクションがどうあるべきか、という観点からはよく分かったと思います。押しつけがましくないこと、人間が決めたいことを人間が決められること、それを使うことで発生する認知的負荷が軽いこと(≒違和感なく直感的と感じる)、あたりが重要かなと思います。

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